タンザニアについて

歴 史

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タンザニアは人類発祥の地といわれます。
北部にはルイス・リーキー博士が175万年前のものとされる現代人の祖先、 ジンジャントロプスの化石を発見したオルドパイ渓谷があります。

さらにオルドパイ渓谷から南へ30キロメートルしか離れていないラオテリでは、360万年前のヒトの足跡が発見されています。

アラブ商人は2000年前にはタンザニアの海岸に到達し、7世紀頃にはザンジバルに定住するようになりました。 タンザニア内陸部への通商ルートが確立されたため、アラブ人の影響を受けたスワヒリ文化とスワヒリ語が沿岸部から内陸部へと浸透していきました。

16世紀には一時ポルトガル人が定住していました。キルワには、ポルトガル人が1505年に建造した砦の遺跡「ゲレーサ」があります。 しかし17世紀後半、ポルトガル人は象牙や奴隷の売買を始めたオマーン人に取って代わられました。

象牙はインドで大変な需要がありました。
インドでは既婚女性は象牙の腕輪を身につけ、亡くなったときには一緒に埋葬されました。18世紀には象牙は日本とも取り引きされていました。 日本では「根付け」の生産に必要とされていたのです。

奴隷は象牙を海岸に運ぶために働かされていました。 奴隷は、ザンジバルの丁子(クローブ)プランテーションやモーリシャスの砂糖プランテーションでも必要とされていました。またペルシャ湾岸、ヨーロッパ、アメリカ大陸に輸出される奴隷もいました。

19世紀末、ヨーロッパ列強によるアフリカ領土の奪い合いが加熱すると、パンガニのアブシリ、イリンガのムクワワ、ルフィジのキンジュケティレなどの指導者による抵抗もむなしく、 大陸側はドイツに支配されてしまいました。キンジュケティレの率いる隊による有名なマジマジ暴動は、1905年7月の事です。 その後、ザンジバルは英国保護領になり、第一次世界大戦後には大陸側タンザニアもドイツからイギリスに引き渡されました。 そして大陸側(当時のタンガニーカ)は1961年に、ザンジバルは1963年に独立しました。1964年、タンガニーカとザンジバルが統合されてタンザニア連合共和国が建国されました。